ジュリアン・デュヴィヴィエのことなど 山田宏一(映画評論家)さん

 終幕が近い映画の昭和篇――「朝日新聞」10月14日(「朝日川柳」西本空人選)に載った川柳(作者は「藤沢市 湯町潤」氏)です。ノスタルジックな、いやむしろ不吉な感じ。そのせいかどうか……いい映画に当たりませんでした。マイベストワンも何もなく、寂しい日々です。口直しに(などと言っては失礼ながら)、DVDで「クロード・シャブロル コレクション」(1968〜70年の「女鹿」「不貞の女」「肉屋」など、紀伊國屋書店映像情報部より発売)や1940年代の活力にあふれた――ハリウッド映画とは一味違う――イギリス映画(キャロル・リード監督「ミュンヘンへの夜行列車」「最後の突撃」、レズリー・アーリス監督「灰色の男」、シドニー・ギリアット監督「青の恐怖」など、ジュネス 企画より発売)を見て、映画的醍醐味を堪能しています。
 というところで、小林 隆之・山本眞吉著「映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエ」(国書刊行会)が出版されたことを知りました。「巨匠デュヴィヴィエ、日本初の本格的研究書」とのことですが、「日本初」どころか、フランス本国でもデュヴィヴィエは戦前からの「巨匠」ながら、「本格的研究書」など出ていません。たぶん世界で初めての快挙でしょう。
 フランスの映画史家、ジョルジュ・サドゥールによれば(「世界映画史」、丸尾定訳、みすず書房)、戦前のフランス映画の「四巨匠」とはルネ・クレールジュリアン・デュヴィヴィエジャン・ルノワールマルセル・カルネで、デュヴィヴィエをのぞく三巨匠についての研究書はいろいろ出ているのに、なぜデュヴィヴィエだけが「研究」の対象にならなかったのか、ふしぎといえばふしぎですが、たぶん「研究」に値する「作家」としての決め手のようなものを欠いていたからだろうと思います。ハリウッド的に言えばプロフェッショナルとよばれるような徹底したエンターテインメント(娯楽作品)の職人監督でありヒットメーカーであり、思いつくままに「にんじん」(1932)、「モンパルナスの夜」(1933)、「商船テナシチー」(1934)、「白き処女地」(1934)、「地の果てを行く」(1936)、「望郷」(1937)、「舞踏会の手帖」(1937)、「旅路の果て」(1938)……と数々の名作のタイトルを列挙できます。私が最も好きなデュヴィヴィエ作品はアメリカ時代のオムニバス映画「運命の饗宴」(1942)。いや、それどころか、戦後、フランスに戻ってからも「神々の王国」(1949)、「陽気なドン・カミロ」(1952)、「アンリエットの巴里祭」(1952)など忘れられない傑作がたくさんあります。「研究」など必要がない明快で通俗的な(ということは誰にでもわかる)真の大衆映画だったということなのでしょう。

映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエ

映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエ