アンヌ・ヴィアゼムスキー著「少女」を読む 山田宏一(映画評論家)さん

アンヌ・ヴィアゼムスキーは18歳のときにロベール・ブレッソン監督の『バルタザールどこへ行く』(1966)で女優としてデビューしたあと、ジャン=リュック・ゴダール監督と結婚し、『中国女』(1967)のヒロインになったことは周知のとおり。ゴダールとは1979年に離婚し、いまは作家として活躍していて、その10冊目の小説「少女」の邦訳(國分俊宏訳、白水社)が出版されました。「小説か、実録か?」と本のオビの惹句にもうたわれているように、映画『バルタザールどこへ行く』の舞台裏(ハリウッド用語というか、英語でいうbehind-the-scenes)を描く実録実名小説として読むこともできます。むしろじつに赤裸々な、ヴィヴィッドな、じつに映画的な回想録と言ってもよさそうです。
バルタザールどこへ行く』の撮影中にプロデューサーのマグ・ボダール女史が「映画監督のジャン=リュック・ゴダールを連れて昼食にやって」くるというくだりがあり(アンヌ・ヴィアゼムスキーゴダールとの出会いが印象的に語られます)、ちょっと長くなるけれども引用させていただくと――


ロベール・ブレッソンは不機嫌なままだった。彼に相談もなく、しかもぎりぎりになってセッティングされたことだったからだ。若いゴダールが、年長のブレッソンを熱狂的に崇拝しており、雑誌カイエ・デュ・シネマのためのインタビューもしたい、というのがその口実だったが、ロベール・ブレッソンは「私にそんなヒマがあるとでも言うのか!」と激怒していた。[……]
「それにしても、どうしてだろうな……。あのジャン=リュック・ゴダールというやつの映画は見たことあるかい?」「いいえ」。私が知らないので、彼は安心したようだった。[……]
確かにジャン=リュック・ゴダールの映画は見たことがないけれど、その噂はよく聞いている。私の周りの大人たち、それに同じ年の友人たちの何人かだって、封切りと同時に映画館に駆けつけている。称賛する人もいれば、けなす人もいて、その両陣営のあいだで果てしない議論が、というよりもむしろ口論が、繰り広げられている。この映画監督のことになると、みんなまるでアルジェリア戦争ド・ゴール将軍の話をするときみたいに興奮している。要するに、彼の映画は絶対に見るべきであり、その上で、必ず賛成か反対か、どちらかの立場を表明しなければならないのだ。そうしなければ、時代の空気に、流行に乗り遅れているとみなされてしまう。[……]
私はずっとぶすっとしたままだったが、ロベール・ブレッソンもそうだった。プロデューサーのマグ・ボダールはその女性らしい魅力を惜しげもなく披露し、この奇妙な昼食会をもっと楽しく輝かせようと見事な手際を発揮していたが、それを変えさせるには至らなかった。
ジャン=リュック・ゴダールは、やや甲高い声で、どもりながら、今私たちが撮影中の映画について、大変興味を持っていると切り出した。ロバと若い娘の悲劇的な運命を結びつけるのは、彼にとって非常に感動的で詩的な発想に見えるらしかった。ロベール・ブレッソンは黙って相手の話を聞き、ときどき同意のしるしにうなずくだけだった。彼のこの礼儀正しく無邪気な様子は、私には解読し慣れたものだった。彼はどうしようもないほど退屈しきっていたのだ。ジャン=リュック・ゴダールは感づいていたのだろうか。食事を始めた頃にはまだ表に見せていたごくわずかな自信が、すっかり消え去っていた。今ではもうお世辞の言葉も尽き、話題もなくなってしまったように見えた。[……]
プロデューサーのマグ・ボダールだけが懸命に会話を盛り上げようとしていたが、もはや会話と言えるものは存在していなかった。[……]
ロベール・ブレッソンは声を張り上げ、社交的な調子で、「ところで、君、ジャン=リュック、新しい映画を撮り始めるそうじゃないか。ああ、それはいいことだ。何というタイトルだったっけかな。いや、いや、いや。私に思い出させてくれ……。『気狂いピエロ』? ああ、そうだ。『気狂いピエロ』だろ? いや、それはすばらしいよ!」 ジャン=リュック・ゴダールはもごもごとお礼を述べ始めたが、ロベール・ブレッソンは大領主が家臣にするように軽く手を振って黙らせた。撮影隊が彼を待っていた。[……]
ジャン=リュック・ゴダールはそれからまだ一時間も私たちのあいだをうろちょろしていた。必死に家族を探す孤児みたいな悲しげな表情で。時折、彼の視線がやや長めに私の上に注がれるのを感じることがあった。[……]もしそのとき、誰かが私に、一年後にまたこの人物に会うだろうと言ったら、そして1965年8月のこの日、彼がここに、『バルタザールどこへ行く』の撮影現場に来た本当の理由を、彼自身の口から聞くことになるだろうと教えてくれたとしたら、とても驚いただろうと思う。彼自身の言葉によれば、フィガロ[紙]に載った私の写真に一目ぼれしたのだという。そしてロベール・ブレッソンに会うというのは、私に近づくために口実にすぎなかったのだという。けれども、それはまた別の話だ……。


アンヌ・ヴィアゼムスキーが、その後、初めてゴダールの『気狂いピエロ』(1965)を見て、つづいて『男性・女性』(1966)も見て、「一年後にまたこの人物に会う」ことになる「別の話」は、拙著「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」(ワイズ出版)の『中国女』の項に、別の視点から(当然ながら)書いたこともついでながら、付記しておきます。

少女

少女

ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代

ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代