「悪人」批評 清水節(編集者/映画評論家)さん

2ヵ月前、このコーナーで 『悪人』への批判的言及をしたところ、もう少し踏み込んで聞かせてくれという声を戴いた。最大の敗因は、原作者による脚色にあったと僕は考えている。殺人を犯した青年の実像を直截に描かず、周辺人物の言葉から炙り出していく原作に対し、妻夫木と深津の身体性を得た映画は、群像劇的要素を排して2人の心的ロード・ムーヴィーに絞っていくべきだったと思うのだ。殺人を犯しはしたが、彼もまたやりきれない社会の被害者であるという視点が強調されすぎ、あまりにも感傷的な演出は、観客の代わりに作り手が慟哭しすぎ、感情移入を妨げている。現代の『地獄の逃避行』や『青春の殺人者』にも成り得た可能性を逃してしまった。心の隙間を埋め合い、傷を舐め合うようにして身を寄せる2人の自意識は肥大していくのだが、現代を象徴する大きな物語へと昇華していかない。彼らなりの正義が脆弱なのはなぜだろう。それは、被害者と加害者の家族の情緒の問題へ、物語がすり替えられたからだろう。死んだ娘のかけがえのない生を愛おしむ、初老の父。青年の善なる魂を代弁するかのように、ささやかな幸福を願って必死に生きる祖母。クライマックスにおいて、柄本明樹木希林の名演によるシークエンスがそそり立ってしまったことは、本作にとって最大の夾雑物だった。